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クラシックカーミュージアム函館を拠点に、函館の街に薫り高いコーヒーと、素敵な笑顔を届くてくれた店主竹谷さんのワーゲンバスカフェ ビーフリーが帰ってきました。

場所は4月14日にオープンしたフレッシュバザール魚長内に。愛くるしいフォルクスワーゲンバス タイプ?は、車好きならずともに、ワクワク感が沸騰!

竹谷店主も、多くのお客さんに大忙しです。

上記メニューは暫定的だとのことですが、良心的な価格と豊富な品数は以前のままで嬉しいです。

これは、僕イチオシのエスプレッソシングルです。量は50cc位ですが、豆の香りが濃厚で、ウットリです。

カプチーノもミルクとコーヒーのバランスが巧!
ビーフリーは3年前にデビュー、クィーンズポートや市内のイベントに登場。数々のグルメ系ブログでも絶賛されるも、2年前の秋に活動停止。その後はイベントにスポット的に出現。これからは、レギュラーで登場です。竹谷店主の人柄とその本格的なドリップに、これからは老若男女に愛されるお店になることでしょう。
ワーゲンバスカフェ BE FREE
住所 函館市石川町52?15 フレッシュバザール魚長内
火曜休
営業時間 10:00から20:00
ロシア人の見た幕末日本
伊藤一哉
吉川弘文館
2009.4発行
函館の開港前後の歴史を知る上で必読の書がタイミングよく上梓された。表紙には開港当時の函館の鳥瞰絵図を配している。
著者は北海道新聞記者伊藤一哉氏(現網走支局長)。氏がモスクワ特派員だった4年間に外交史料館などで発掘した未公開のゴシケビッチ(初代箱館領事)書簡などから得られた知見をまとめたものだ。
函館における外国の中でもロシアは特異なポジションを占める。ハリストス正教会、ロシア極東国際総合大学函館校、ロシア領事館など、現在も活動中の施設、さらにはロシア人墓地、旧領事館などの遺跡も多い。
最近は極東大の中に日本で最初のロシアセンター(ロシア情報の発信)が開設された。旧領事館建物の修復・再利用の計画も進んでいる。
それにしても、なぜ幕末の開港条約の下で、他の4か国(米・英・蘭・仏)が横浜に領事館を設置するなかでロシアのみが箱館に領事館を設置したのか。
それは私にとっても、長年の疑問であった。
1858年、開港を翌年に控えたこの年に、初代駐日領事、ゴシケビッチが函館に到着、ロシア領事館を開設してから1873年(明治5年) までの間、函館はロシアが領事館を置く唯一の都市であり続けた。
当時の政治の中心であった江戸から遠く離れた箱館に領事館をおいたことで、ロシアは日本の政治上の大変革期に外交的圧力を加えることもなく終わった。ゴシケビッチの名前も幕末の外交史の中では影が薄い。
従来、この箱館のロシア領事館設置の理由として、ロシアの東洋艦隊の寄港地としての函館の地理的条件があげられてきた。しかし この本を読むと、もっと別の理由が浮かび上がってくる。
この本の中に出てくる、「函館は(江戸に近い横浜と違って)ロシアの宗教的・文化的優位性を発揮するには好適な場所である」という当時のロシア外務省筋での議論がそれだ。
実際、ゴシケビッチは赴任にあたり、軍人のみならず、医者、神父ら多数のスタッフを帯同し、着任後も精力的に教会、学校、病院の建設を推進した。それらの努力の跡が今日の函館におけるロシアのプレゼンスには色濃く残されている。
モスクワから3か月にもおよぶシベリア縦断、そしてウラジオストックからの船旅。そうした過酷な度の先にある僻遠の地での勤務の中で、「生真面目な官僚」であったゴシケビッチが何を思い、どう行動したか、妻の病気への心配も含め、この書の随所に人間「ゴシケビッチ」の苦悩も伝わる。
圧巻は、幕末最大の対外事件ともされる露艦による対馬占領(未遂)事件の際のゴシケビッチの活動。そして、妻を同伴しての外国人として初の陸路の東北縦断だろう。
21日の道新夕刊で、東大教授の保谷氏が、この書を「幕末史の研究者には待望の一書」と賛辞を書いている。決してお世辞ではないと思う。特に函館の開港当時を知る上での貴重な同時代の証言として。
北海道 化石としての時刻表
柾谷洋平
亜璃西社
2009年
1985年生まれの大学院生が書いたこの本。単なる時刻表マニアではない、若いが正確な歴史認識と想像力を兼ね備えた人物による、北海道の鉄道史。
本人が八戸出身で大学が札幌であったことから、本の最初の章が「津軽海峡越境」で始まるのも嬉しい。文中で触れられるエピソードがまた面白い
・最初の北海道:本州の鉄道連絡船が、実は室蘭・青森間に始まったこと。
明治37年頃にはまだ札幌からの鉄道は室蘭停まり。函館本線の開通までは、鉄道連絡船は室蘭:青森(途中で函館にも寄航)であった。
・太平洋戦争中は、軍事機密となった連絡船の運行時刻が時刻表から消えた。
函館山は明治以降、全山軍事要塞だったので、立ち入りはおろか、詳細の地形図作成も禁じられていた。戦時中は連絡船も「爆撃」の恐れありで、時刻表は掲載不可。著者は東北線・函館線の列車の連絡から、幻の「連絡船」時刻表を推理しているが。
・函館始発の超長距離鈍行列車が大正12年、函館・根室間に存在。運行時間なんと29時間!
などなど、鉄道フリークならずとも楽しくなるような、貴重な話題が満載。
もっと詳しい紹介が下記のサイトで
市電の函館どっく終点で降りて、周囲を歩き回る。ここは函館の原点ともいえる場所で、開港当時の中心市街地。入船漁港の佇まい、ドックのクレーン、西埠頭の赤レンガ倉庫、マリーナなど、それぞれにゆかしいスポットが点在。そういえば、足元は旧「弁天台場」
中心市街地であった、その名残が、電車通りから一本山側の「大黒通り」にある。昨今は人口流出と郊外の量販店の影響で、さすがに店の数も激減しているが、まだ生鮮品、衣料品、そして骨董屋さんまで、がんばって営業している。
そして隠れるように、いくつかの飲食店、居酒屋、バー。
お勧めのひとつが大黒亭。みずから「美人姉妹」と堂々自称するお二人がにこやかに出迎えるこの居酒屋。カウンターと小上がりで20人も入ればいっぱいの店だが、地元の皆さんからは激しく愛されているようで、いつも客が耐えない。
魚系を中心に活きのいい食材を安く食べさせてくれる。ちなみに裏手には民宿「大黒亭」も経営。
実は、ここを拠点に、隠れた「穴場」が他にも2店ほどあるのだが、いずれも公開=宣伝不可。ご興味の向きは、この大黒亭を足場に探索されたい。ちなみに美人姉妹のPhotoもとりあえずは非公開。ぜひ実物で確かめるべし。
ヒントひとつ。付近にある「壁穴通り」という、いわくありげな通り。この付近を探索すると、穴場のひとつにはめぐり合えるかも。




住所 函館市弁天町13?3
電話 0138-23-0349 / 0138-22-0291
最寄停留所 函館駅より市電に乗り、大町電停で下車 徒歩5?6分
営業時間 18:00~23:00 「今のところ 年中無休ですが 疲れた時は日曜日、休ませていただいています。」とのこと。できれば前日までに予約を

建築の彩時記
出版INAX
1990/11
函館の西部地区を歩くとよく見かけるのが、一階が和風、二階が洋風の和洋折衷住宅。
大正から昭和にかけていわばブームにもなったといわれるが、国内でも他に類似例の少ない独自性の高い建築意匠。
なぜこんなユニークな建築が大量に出現したのかはいまだに諸説紛々なのだが、どうもハコダテ人のハイカラ好みと見てくれ重視という性格が重要なキーのようだ。
その2階の洋風デザインは、下見板張り・ペンキ塗りが基本。
もっとも洋風といってもそれは外観、内部は和式の部屋が大半というから、確かに「外から見られること」を強く意識していたことがうかがわれる。
さて、そのペンキだが、おおむね明るい色調なのが基本だが、風雪に晒されて痛んでくるのは当然。
そこで何年かに一度は全面塗りなおしとあいなるわけだが、選ばれるペンキの色にどうやらあるパターンがあるらしいことに、あるとき街の観察に鋭い人たちが気がついた。
そこで生まれたのが、何重にも重ね塗りされたペンキの過去をたどる試み。
外壁をサンド・ペーパーでこすると、なんと幾重にも色の層が浮かびあがる。
この本はそうした街中の建築探偵たちの「こすりだし」から得られた知見をまとめた本。
さすがに建築部品の会社が出版しているだけに内容も考証も本のデザインも優れもの。
発刊後20年にもなろうというのに、きちんと版元在庫もあるようだ。
見慣れた街を、今回はクルマを乗り捨てて、歩いて回ってみたいもの。
片手にこの本を携えて歩けば、新しい感動と発見に必ず出会えるのでは。
さあ、街なかウォーキングにさあでかけてみましょう。
(特集 08年11月ハコダテの秋見つけた から再掲)
電車通り、柏木町電停と深堀町電停の間にある「函工通り」を入って下さい。
道立函館工業高等学校に向かって左手にある洋食屋さんです。
以前は西部地区にお店を構えていたそうですが、私が行くようになったのは
現在地(柏木町)に移転してからです。
ピザは持ち帰りもできますが、焼き上がりに時間がかかりますので、
事前に電話予約して来店されることをオススメします。

平日と土曜日のランチメニューは、たいへんおトクな価格設定になってます。
サラダもたっぷり召し上がって下さい、、、ランチメニューの、しょうが焼きです。

こちらもランチメニューのハンバーグ。デミグラスソースのテリがたまりません!!

ランチ、ディナーはもちろん、コーヒーを飲みたい方にもオススメです。
時間をかけて、丁寧にいれられたコーヒーです。

ウィッシュボーン、と言えば「ピザ」のほか、「パングラタン」が有名ですよね。
かなりのボリュームがあります。男性の方もぜひ召し上がってみて下さい。
他にも色々とオススメがありまして、、、なかでも「ドライカレー」は超オススメです。
注文を受けてからつくりはじめますので、出来上がりまで少々お時間がかかりますが、
お店の入口にある水槽の巨大魚(かなりデカイです!!)を眺めながら、
ほどよく流れる心地よい音楽を楽しみながら、、、ごゆっくりお過ごし下さい。
雑誌も各種取り揃えてあります。
奥のお席の脇には、自転車がかけられていたり、観葉植物があちこちにおいてあったり。
あまり広いお店ではないのですが、不思議と落ち着けるのは、
店主の好きなもので埋め尽くされた空間、だからでしょうか。
カウンターのお席もありますので、お一人でもお気軽にどうぞ。

ウィッシュボーン
函館市柏木町15?30 最寄りの電停&バス停 柏木町・深堀町 または 工業高校前
電車通り「小田中歯科医院」から函工通りに入って左手
0138?31?0857
11:00?15:00
17:00?22:00
定休日 水曜日
駐車場あり 店舗前に数台

北海道における初期洋風建築の研究
越野 武
北海道大学図書刊行会
発行1993年
北海道は、明治以降の急速な開拓の過程で、洋風建築の導入を積極的に進めた。旧来の建築技法にとらわれず、寒冷地対策など北海道の気候条件などを最優先させたことのほかに、近代化のモデルを作るという気負いもあったのだろう。
最初は官公庁や宗教建築が先行するが、すぐに民間住宅にも洋風の波が押し寄せる。
典型的なケースは函館の場合で、開拓使庁舎、英国領事館、カトリック教会などに始まり、明治中期には煉瓦+漆喰の商家、和洋折衷住宅などが続々と建てられる。
そうした明治の初期洋風建築の展開を、函館を主軸に、札幌、小樽などのケースを取り上げて総合的に俯瞰したのがこの書。大部であり、もはや入手も難しいが図書館では閲覧できる。
全体の半分近くを函館に割いているのは、資料が潤沢に残されている点、現存する建物が比較的多いことに加えて、筆者の越野教授(北大・建築)が1980年代に函館の西部地区で大規模なフィールドワークを実施したことがおおいに預かっていると思われる。
写真、地図、図面が潤沢に掲載されており、それらを眺めるだけでも結構楽しめる。
旧英国領事館の初期の建築図とか、明治20年代の大通り(現在の末広町電車通り)の町並みの復元図など、極めて興味深い資料の宝庫。
目次は北海道大学図書刊行会のページで見られる。
アロマやボディトリートメントのスクールやサロン、ショップの香音さんをご紹介します。
代表の能登美香子先生はオンパクやユースカレッジなどで体験講座をひらいていて
知っている方も多いと思います。
お話がとても楽しく惹き付けられます!
私はスクール受講生用の体験会&説明会に行ってみました
香音さんではアロマコーディネーター、AHRボディトリートメント、AFRフェイシャルトリートメント、英国IFA認定国際アロマセラピストの養成スクールを行っていて、スクールの雰囲気や説明など
随時体験することができます。
私もちょこっと体験させてもらっちゃいました。
まずはたくさんあるアロマ精油を、いろいろと嗅がせてくれます。
こんな感じがいいなぁ・・・と、美香子先生につたえると「これはどうでしょう」と、お試し!
今回はバスソルトを作ります。ヒノキや柑橘類の好い香りにもひかれたのですが、
テーマを子供と一緒にはいるお風呂でリラックス!に決め美香子先生おすすめの
クラりセージ(鎮静作用)と、私の好きなラベンダー(リラックス)のブレンドで作りました。
クラりセージは子供の機嫌の悪いときなんかに香らせても良いそうです。
タチッと精油をたらしている時間も癒しですね。。。
香音さんは、サロンやショップもありますので、気軽にアロマにふれることができます。
HPで手作りアロマ講座のお知らせもあるそうですので、ぜひ楽しいお話と素敵な香りで癒されてみてはいかがでしょうか?
アロマセラピー香音
函館市中道1丁目3-17 電話 52-1780
函館の江戸時代末期の経済的発展の礎を築いた功労者のひとり、高田屋嘉兵衛に関する資料を集めた博物館が面白い。
箱館高田屋嘉兵衛資料館
は、金森ベイエリアのすぐ隣にあります。冬期間は休館でしたが、4月1日から再開しています。建物は元は立派な蔵造り。重厚、ひんやりした建物内は数多くの興味深い資料が陳列されています。
この資料館はなんと、私立。近くの石油販売店のオーナーが私財を投じて開設したものだそうです。
入口すぐ右の壁に長ーい絵巻があります。複製物ですが全長10メートルはあろうという迫力。
これっていったい何を描いたものでしょうか。

近くに行ってみると、どうも函館の街並みを港の方から描いたもののようです。時代は1800年代の半ばころ。函館海岸図という名前のようですが、なんと弁天付近から描き出して、海岸に立ち並ぶ家並みをつぶさに、つまり一軒一軒微細に描き出していきます。かつての沖の口役所(現在の自衛隊基地)、いまの金森倉庫群付近を経て、最後は現在の万代町付近あたりまで及びます。多くの商家にはそれぞれの屋号を示すおおきなマーク(家印)が海側の家壁に表示されています。それぞれの店の持ち船が、専用の岸壁を見分けられるようにしたもののようです。

この絵巻物をみるだけで入館料の価値は十分あります。
箱館高田屋嘉兵衛資料館
函館市末広町13-22 0138-27-5226
入館料(大人) 300円
http://www.ikemi-net.com/takadaya/
なお、同じく高田屋関係の展示をしている「北方民族資料館」(オーナーは高田屋の末裔)のほうは
2月1日から再開しています。(2館利用可の入場券あり、500円)
イザベラ・バードの日本紀行 (上・下)
イザベラ・バード 時岡敬子訳
講談社学術文庫
2008/4
先日の成田空港でのFDX機の着陸失敗・炎上事故。原因のひとつがウィンドシア(局所的に起こる風の強い変化)とされ、函館空港でも過去に同様の原因によるANA機の着陸事故があったという報道。そこで思い出したのが、次の言葉。
函館は「風の都」である。
函館を「風の都」と表現したのは明治11年(1878)に函館を訪れた、英国人女性旅行家、イザベラ・バード(Isabella L.Bird)だ。バード女史はまだ交通手段が十分ではない時代に、日本のみならずオーストラリア、朝鮮、マレー半島、チベットなどを踏査し、貴重な記録を著している。
日本関係の著作は上記の「日本旅行」(最初の邦訳が「日本奥地紀行」(原著:Unbeaten Tracks in Japan),その中に、東京から発して、北海道へ至る旅の記録が残されている。もちろん、北海道の玄関、函館についてもかなりのページが割かれている。当時の東京・函館は海路が普通、まだ道路も宿泊所も未整備な時代、外国人女性として初の陸路による東北縦断の苦難の体験。
函館について書かれた章のサブタイトルに使われているのが、「風の都」(Windy Capital)という言葉。
バードは函館での風の強さに驚き、風対策として民家の屋根にびっしりと置かれた石に随分と興味を引かれたようだ。当時、すでに定期の蒸気船が始まっていた青森から函館に着いた時点で強風と大波に見舞われたバードは、税関の近くの桟橋に上陸し、ずぶぬれの状態で教会(英国国教会か)にたどりつき、心底ほっとした様子を記している。紙数は多くはないが、往路(さらに北海道の奥地、白老まで行っています)・帰路(は函館から船で横浜へ)の2回立ち寄った函館の当時の様子がよく書き込まれている。
バードから130年、函館の変貌は著しく、女史の目に映った風景はもはや、函館山を除いてはほとんど観ることはできないでしょう。
しかしバードが感じた「風」は多分いまも山の麓をまくように、時には強く、あるいは弱く、かつてと同じようにこの街には吹いている。
ちなみに、函館は函館山【標高300メートル】と対岸の亀田半島との間を、もっとも狭いところでは1KMぐらいの幅の細い長い砂洲で繋がった地形。地理学的には「陸繋島」と呼ばれる。
南側が津軽海峡、北西側は港湾。周囲の山地も複雑に入り組んでいる。そうした特異な地形が、強く・変わりやすい風の原因となり、さらに海からの風が遮るものない砂州の上を通り抜ける。
強い風にあおられた大火災も相次いだ。特に明治40年と昭和9年の大火はそれぞれ当時の市街地の半分以上を焼き尽くすというものであった。

「B級グルメ」という言葉からは皆様はどんなイメージを抱くでしょうか。
僕にとっては、味の追求は勿論のこと、郷愁であったり、人間味であったりします。
今回、訪問した たこ焼き 笑吉 は個人的に函館B級グルメの頂点だと感じました。
お店は民家をそのままお店に改築。昭和の香りがプンプン。

店主は北海道出身ながら、かつて大阪に7年程、在阪。そこで本場のたこ焼きを約300軒ほども、食べ歩いたそうです。そんな会話をしながらも丁寧に一つずつ焼きあげてゆきます。おいしいにおいに生唾を飲み込みました。

これがスープたこ焼き(小サイズ 250円)です。写真では揚げ玉に隠れて見えませんが、春雨が入っております。天カス、たっぷりのネギ、ゴマ、そして何よりスープが激ウマです。あまりの出汁の旨さに店主に何を使っているのか尋ねましたが、店主は「カツオ節と昆布だけで、特別なことはしてませんよ」とのこと。でも絶妙なあんばいです。


メニューはスープたこ焼きの他にもタコロールなどB級グルマーの琴線に触れまくりです。
午後3時過ぎに訪問しましたが、近所の小中学生が小銭を握りしめて、次々やってきます。「おじちゃん、今日は5個でね」、「今日はタコロールにします」と元気な子供たちをみていると、僕も童心に戻ります。
やっぱり、食べ歩きはやめられません。
たこ焼き 笑吉(しょうきち)
TEL 0138 32?7574 営業時間 15:00から21:00 不定休
DVD
雲のむこう、約束の場所
新海誠(監督)
コミックスウェイブ 2005/2
単行本
新海誠 加納新太
エンターブレイン 2005/12
今回は本ではなく、DVDの紹介です。
ある友人の紹介で初めて新海誠のDVD作品を観ました。このDVDに登場する函館(正確には津軽半島側からみた北海道なので、渡島半島といったほうがいいかも)は、主人公の3人の中学生にとって、「雲の向こう」の「約束の場所」なのです。
あらすじ(公式サイトからの抜粋)
日本が津軽海峡で南北に分断されたという設定。米軍占領下の「南日本」の津軽半島の田舎の中学に通う2人の少年と少女の物語。3人は毎日海峡の向こうの「別の国」にそびえたつ謎の巨大な「塔」にあこがれていました。彼らは自分たちが作る小型飛行機でいつかあの「塔」まで飛ぼうと決意します。そして、ついに飛び立つ彼らの行く手には・・・
北海道は彼ら3人の固い「約束」の、そして「雲のむこう」の場所として描かれています。函館がそれとしてしっかり登場するわけではないのですが、このストーリーの重要な要素として常に後景に存在しているように感じます。
なによりも、描画の丁寧さと雰囲気がすばらしい。普通のアニメには見られない独特でしっとりした情感が漂っています。景色や建物、鉄道の線路、いずれもが戦後の一時期を彷彿させる、懐かしさを呼び起こします。音楽も素晴らしい。
オトナでも十分楽しめる作品です。(レンタルショップTsutaya,Geoにもあります)

はこだでぃ
発行 幻洋社
隔月刊行 91年1月創刊、98年ごろ休刊
ハコダテにもかつて定期刊行の郷土誌があった。
隔月刊、B6版と小型ながら、66ページにはぎっしりと函館の懐かしい情報が満載。毎号が特集記事主体。いくつかピックアップすると
函館の新聞、小学校むかし物話、函館・雪の一日を歩く、函館山を歩く、函館市文学館、函館のプロフィル、函館町名散歩、はこだて石碑散歩、函館の錦絵、登校地図物語・・・・・
惜しいことに、98年ごろに休刊(筆者の手元にある"最新号"が98年9月発行の46号)。ついに再刊されることがなかった。発行元は幻洋社。函館「唯一」の出版社として多くの良書を発行し、地域情報の発信を支えてきたが、社長の東福氏の逝去でこちらも休業へ。
誰も衣鉢を継ぐ人がいないのが大変残念である。
1992年創業、2008年10月リニューアルしたペシェ・ミニョンは
奥にサロン(カフェ)がありまして、ゆっくり過ごすことができます。
まだまだ寒い日が続く函館、、、外出もおっくうになりがちですが、
寒い季節こそ!!ペシェ・ミニョンのサロンへお出かけ下さい。
オススメは、やはりケーキセット。
お好きなケーキ2つと飲み物で、1260円。
紅茶は、ポットでたっぷりといただくことができるので、女性に大人気です。

と言いながら、この日、無性にコーヒーが飲みたかった私は、
コーヒーを頼んでしまいました(笑)。
エスプレッソのほろ苦さが、ケーキの甘さをひきたててくれます。
飲み物の種類は豊富で、ハーブティーなどもあります。
飲み物だけのご注文の方には、クッキーのサービスがあるそうです。
ランチメニューもございます。

コチラは窓際のお席。夏はテラスも開放されます。
四季のうつりかわりをお楽しみ下さい。

窓際のお席ですが、時間帯によっては、少々まぶしすぎるかも知れませんね。
壁際のお席もオススメです。間接照明がやわらかくて、とても落ち着きます。
なぜ、私が「寒い季節こそペシェ・ミニョン!」
と強く勧めるのか、、、その理由は下の画像にあります。


寒い季節こそ、ペシェ・ミニョンで、心も身体もあたたまりましょう!
※今回は、撮影のため、席を移動してますが、皆さんはウロウロしないで下さいね(笑)

と言いながら、夏はテラスでアイスティーを注文して
「暑い季節こそ、ペシェ・ミニョンで、、、」
という記事をアップするかも知れません、、、お楽しみに(笑)。
要するに、春夏秋冬、いつでもペシェ・ミニョンです(やっと本音が出ました)。
ペシェ・ミニョンでは、雑貨も取り扱っていることをご存知ですか?
お店のスタッフの方にお願いすると、鍵を開けてもらえます。
開けていただきました!足元に段差がありますので、十分ご注意下さい。

こだわりのインテリアグッズがズラリ。
これであなたのお宅も、ペシェ・ミニョンの雰囲気に一歩近づけますよ!
プレゼントにもピッタリです。

0138?31?4301
11:00?19:00(18:30ラストオーダー)
定休日 水曜日
※3月17日、18日は連休ですのでご注意下さい
駐車場 あり
ホワイトデーに関する記事はスタッフ日記のコチラの記事をご覧下さい。

2009年8月から9月にかけて、フジテレビ系列「エチカの鏡」で
登場したスナッフルスというお店はペシェ・ミニョングループです。
女の海溝 トネ・ミルンの青春
森本 貞子
文芸春秋社
1981年
後に地質学者ミルンの妻となる堀川トネは、函館で真宗大谷派の寺(願乗寺)の娘として生まれた。父親は明治初期の函館を貫通する水路(願乗寺川)を開いた、堀川乗経。
明治初期の函館には数多くの外国人が活動していた。英人ブラキストンもその一人。貿易に従事し、木工場を開いた企業家で、動植物の自然境界線としての津軽海峡に着目し、ブラキストンラインを唱えたことでも知られる。そのブラキストンの縁で、乗経の娘、トネは政府が英国から招いた外人教師、ミルンと結ばれる。
函館の幕末から明治への激動の歴史を判りやすく織り込みながら、著者のまなざしは「函館のオンナの持つ特有の強さ」に注がれる。
作中で著者は、トネの血筋を受け継ぐ人物にこう語らせる。
あの当時の函館の女(ひと)はきかなくなくては生きていけなかったんですよ。気候も風土も厳しい港街・・明治の開拓時代、ましてや函館は外来文化の洪水。強風の吹き荒ぶ港、大火の街、どう考えたってきかなくなりますよ。あの時代の函館の女たちは。
日本の地震学の先達、ミルンは地震学会の創立にも奔走。そして、著者、森本貞子も、奇しくも函館生まれ、そして地震学者を夫に持つ。そういう因縁をきかっけに、幕末明治の歴史に深く分け入り、トネの生き方を通して明治の溌剌としたハコダテを同時に描きだした力作。
なお、開港150周年にちなんで、この「女の海溝」の朗読会が2月21日に開催された。場所は函館市文学館。残念ながら聴講を逃した。再度の機会があれば是非・・・と思う。

